大学院Blog1:“沈黙”は本当に“金”なのか
こんにちは。
5月も終わろうとしていますね。
日本は間もなく梅雨入りでしょうか。
さて、ウェルビーイングの授業で、“ブログを3本書く”というのがありまして。
もちろん学術理論に則った分析を入れつつ、ブログとして読みやすいもの、かつ3つがそれぞれ指定分野をカバーする、というものなんですが。
さまざまな組織心理やストレス・ウェルビーイングに関する学術論文を踏まえつつ、身近なトピックを(時にUK文脈で)書いているので、気軽にお楽しみいただけたら幸いです。
本文章については、一応日本語と提出した英語版それぞれを掲載します。
(ちなみに成績はまだ不明のため、質については責任を負えません)
“沈黙”は本当に“金”なのか
日本には、余計なことを言わない=「沈黙は金」という言葉がある。下手に声を上げると「輪を乱す奴」「文句が多い」「扱いにくい人」といったイメージダウンにつながりやすいからだ。
だがしかし、さまざまな無理難題に“沈黙”を貫くことは本当に“金”なのだろうか?それは自己保身や波風を立てないための省エネにすぎないのではないか。
この問いに対する答えはノーだ。なぜなら、日本の階層型組織における『沈黙』は、仕事のコントロール感を奪い、リーダーたちを慢性的な消耗(ストレイン)へと追い込むことがあるからだ。
ケース:優秀なリーダーほど“黙る”
「ただでさえ忙しいのに、更に業務が増えて、ストレスでイライラしてしまうんです」――そのクライアントはセッションでそうため息をついた。
彼は日本の開発職のプロジェクトリーダーだ。
数名のメンバーを抱え、彼らをうまくリードしながら業務を回してきた。ところが4月に入って新たなプロジェクトが追加され、業務量のコントロールに苦労しているという。 ここで一つ押さえたいのは、これは彼一人の問題ではないということだ。
日本では働き方改革が進んだと言われる一方で、週49時間以上働く“長時間労働”は2023年時点でも15.2%と報告されている。さらにWHOとILOは、週55時間以上の労働が脳卒中リスクや虚血性心疾患による死亡リスクと関連すると報告している。(出典:国内労働時間統計=JILPT等、健康影響=WHO/ILO)
つまり、「忙しい」「余裕がない」は個人の気合で消せる問題ではない。設計の問題だ。
裁量が“曖昧”で、対話がない
コーチとして話を聞いていくと、メンバーとの関係はよく、チームの一体感は醸成されている。上司とも特にわだかまりはなく関係はよい。しかし、双方とも業務に手一杯で忙しく、対話の時間は取れていない。そして何よりも、そのプロジェクトについてどこまで彼が意思決定をしてよいのかが分からないことが見えてきた。
彼にとっては、
• なぜ自分が担当になったのか
• なぜそのスコープなのか
• 納期は調整可能なのか
• どこまで自分が意思決定してよいのか
が分からないままだった。
「どういう経緯で納期などが決まったか、調整可能かは聞いてみましたか?」
「いや、考えたこともなかったです・・・そういうのって聞いていいんでしょうか?」
彼の言うことはこうだ。
指示として受け取ったので承諾する。上司の指示は組織の指示だ。経緯や「難しい」「調整したい」といった対話は、我儘に取られるかもしれないという恐怖から、したことがない。自分の上司も、そのまた上司も、皆ずっと無理難題に黙って応えてきた。自分がそれを覆すこと=制御しようとすることは、自分の能力不足を露呈するようなものだと感じるのかもしれない。
集団において“声を上げる者”は厄介者と取られる可能性もある。
まさに“沈黙は金”なのだ。
理論で整理する:Demand–Control–Support(DCS)モデル
このケースを説明するのに有効なのが、Demand–Control–Support(DCS)モデルである。
要点はこうだ。

• Demand(要求)が高いのに
• Control(裁量:意思決定の自由度/スキル裁量)が低い(または曖昧)
• Support(支援)が弱いとストレス反応(不眠、苛立ち、消耗)が強まりやすい。
このケースに当てはめると、構造が見える。
① Demand:要求が増えた
追加プロジェクトにより仕事量・締切圧が増えた。Demandは上がった。
② Control:裁量が「曖昧」
彼の核心は「役割」そのものより、意思決定の裁量が曖昧であることだった。
優先順位を変えてよいのか。スコープを削ってよいのか。期限を交渉してよいのか。それが分からない。結果として「調整できる感覚」がない。
高要求×低(または不明確な)裁量は、DCSの中核リスクである。
③ Support:対話不足が“調整の入口”を閉じる
上司と関係が悪いわけではない。しかし双方が忙しく、対話がない。その結果、裁量の確認・交渉という「調整の入口」が閉じている。
Johnson & HallがDCSモデルの拡張において示したように、職場における「社会的支援」は、高い要求度と低い裁量がもたらすダメージを和らげる強力な緩衝材(バッファー)として機能するはずである。
しかし、上司自身も多忙を極め「対話の機会」が失われている現状は、この重要なバッファーを機能不全に陥らせている。強力な緩衝材を失った彼は、過剰なDemandの直撃を無防備に受け止めるしかない状態なのだ。
「夜、時間を溶かす」は“意志の弱さ”ではない
彼は最近、帰宅後に延々と動画をスクロールしてしまい、気づけば午前2時、罪悪感だけが残ると言っていた。ここで重要なのは、これを「だらしない」の一言で片づけないことだ。
ストレス理論の観点からは、これは回避的なコーピング(逃避)として理解できる。
交流モデルの「認知的評価」のプロセスを用いれば、彼の行動のメカニズムがさらに鮮明になる。
彼は上司に業務調整を申し出ることを、「自身の能力不足の露呈」や「和を乱す厄介者と見なされること」という『脅威』として一次評価しているのだ。この強烈な脅威の認識と、自分には状況を変える資源(裁量や対話の機会)がないという二次評価が重なることで、問題そのものを解決する「問題焦点型コーピング」を選択できなくなっている。
その結果、一時的にでも不快な感情から逃れるための「情動焦点型コーピング(動画視聴などの回避行動)」に頼らざるを得ないのが実態である。短期的には気分を麻痺させるが、睡眠と回復を妨げ、翌日の余力をさらに奪うのだ。
さらに、仕事のストレスから回復するには「心理的距離」が重要であり、切り替えがうまくいかないと疲労が持ち越されやすい。
つまり彼の夜は、「性格」ではなく、職場で生じた高要求と低(曖昧な)裁量が、回復を壊しているサインと読める。
文化は時にリスク要因として働く
ここで厄介なのは、彼が例外ではないことだ。
不確実性を避けたい文化では、曖昧さが不安を増やしやすいとされる。また、階層が強い職場ほど「上に確認する/従う」が合理的な行動になりやすい。
その結果、業務量が増えた場合に、それを調整してほしい・業務を切り分けてほしいという上司への依頼に抵抗感を持ち、沈黙を選びやすくなる。そして沈黙は、Controlの明確化とSupportの獲得を遅らせる。
――これが、沈黙が“金”ではなく“コスト”になるメカニズムだ。
勇気ではなく、設計で解決する
私は彼にDCS理論を説明し、ストレスを減らす方法として「権限(裁量)を明確にすること」、そして可能な範囲で「業務量(要求)をコントロールすること」を提案した。
「これは個人のわがままではなく、構造の問題だ」と位置づけ直し、次の3つを提案した。
- Demandを見える化:今の仕事量と締切を棚卸しし、何が“追加”なのかを明確にする
- Controlを明文化:自分が決めてよい範囲(優先順位・スコープ・期限調整)と、上に上げる基準を定める
- Supportを制度化:上司と15分でもよいので定期的に確認の枠を作り、調整の入口を開ける
彼は起きている事象が論理的に整理されたことで、「自分の個人的な我儘や感情ではなく、システムとして調整が必要であり有効である」ことに納得できたようだった。次回セッションまでに上司と話してくるというアクションを設定すると、彼はすっきりした表情でセッションを終えた。
ウェルビーイングを“運”に依存させるな
今回のケースは、上司との関係が良好だったため、比較的スムーズに解決へ動いた。だが、従業員のウェルビーイングを、個人の“勇気”や“上司との相性(運)”に依存させるべきではない。組織がDemandを増やすなら、同時に裁量を明文化するシステムを設計しなければならない。
昨今、多くの企業がウェルビーイング施策として、マインドフルネス研修やレジリエンス強化といった個人の対処能力を高める「二次予防」に投資している。しかし、本ケースのような構造的な問題に対して、個人のスキルや努力だけで立ち向かわせるアプローチは本末転倒である。
真に求められているのは、ストレッサーそのものを減らし、適切な裁量を与える職務再設計といった「一次予防」の徹底だ。なぜなら美徳としての「沈黙」を従業員に強いる組織は、静かに彼らをバーンアウトさせるだけだから。
<完>
